米澤 寿季

退路を断つ

Systena America Inc.・Technical Assistant Engineer中学3年生の頃のカナダ留学をきっかけに「日本の大学には行かない」と決意し、両親の後押しもあってアメリカの大学へ進学。現在は社会人2年生としてカリフォルニア州サンマテオにある日系企業でエンジニアとして働く(上写真は、自宅近所※徒歩2時間)。一見すると普通の人では味わえないような自由を謳歌しているようにも思えるが、さまざまな紆余曲折を経て現在に至る。 (2020.10)

留学するには受験勉強は枷でしかない

中学3年生の時、語学研修旅行としてカナダへ1週間ほど短期留学しました。そこでは現地の高校1年生の生徒と一緒に授業を受けたのですが、授業スタイルが日本とは違いました。どちらかというと受け身で授業を受けることが多い日本の学校とは違い、学生たちが自ら発信するスタイル。とても新鮮さを感じ、これをきっかけに「留学をしてみたい」という気持ちが生まれました。高校こそ国内の進学校に入ったものの、カナダでの滞在がきっかけで生まれた留学に対する気持ちは変わりませんでした。

そんな折、東京に留学を斡旋する語学学校がある事を母が偶然にも見つけ、高校1年生か高校2年生の夏にその学校へ体験入学をしました。試験では常に赤点を取るほどに英語が苦手な自分にとっては、とてつもなくハードな日々でした。しかし、体験入学を通じて実際にその学校の授業スタイルに触れたことで「この学校で頑張れば、留学ができるはず」という気持ちが芽生えました。そして実際にこの学校を受験し、無事入学しました。もうこの時点で「日本の大学に行く」という選択肢は完全になくなっていました。日本の大学を受験する為の勉強は留学に対しての大きな枷になりかねないと、早いうちに高校を卒業するのに最低限の勉強だけをするスタンスへ切り替えました。

留学を決めた以上、障壁は乗り越える

次に問題になったのがお金です。留学は高額の費用が掛かるうえ、既に語学学校にも安くない授業費を支払っていかなくてはならない事は決まっていました。両親も申し訳なさそうに費用の面で留学の援助を完全にはできないと言っていました。ただ、日本の大学に行かないと決めたことについては驚かれつつも尊重してくれて、「お金以外のことは全力でサポートする」とも言ってくれていました。

そんな時に、語学学校の生徒が新聞配達をしていると聞きました。そこで自分も学校に通いつつ新聞配達を2年間続けました。語学学校の学費完全に賄い、少額でしたが貯金もすることが出来ました。ただ、新聞配達だけではさすがに厳しかったので留学の為に借金もしました。思えば、精神的な強さはこの時の新聞配達で築かれたように思います。

語学学校在学中

戻る理由もないならアメリカで就職

語学学校で英語力をつけた後、ついにアメリカに留学しました。当初は楽器職人を志していましたが、実際になるのは難しいと思ったときに、「将来的に借金を返しつつ食べていくには手に職を付けなければ」と機械工学を専攻しました。アメリカでは節約のため短大に3年間通い、一般教養や工学の基礎的なコースを修了して、4年制大へ編入しました。

編入先では「メカトロニクス」が面白そうだと感じ、機械電子工学部へ。残りの2年間、そこで勉強していました。必須授業の一つに「企業訪問をし、エンジニアの観点から顧客の抱えている課題を解決する」というプロジェクトがあったのですが、エンジニアリングの実際のコストを計算したりなど、現実のエンジニアが直面するであろう業務を体験できました。

大学卒業間近となり、大学で身につけた知識や経験を日本の企業で活かそうと当初は考えていました。実は当時、日本に遠距離の彼女がいたので戻ろうと考えていました。ですがその彼女には最終的にフラれてしまい、日本に戻る理由はなくなってしまいました。そこでアメリカで就職することを決め、現在の会社にいます。

四年制大学の工学部練ビルディング

よく引き籠っていた四年制大学図書館

アメリカで大事なのは「自分が誰なのか」ではなく「自分が何ができるのか」

アメリカはまず就職に関して、年齢・性別による差別があまりないように感じます。履歴書にも年齢・性別・顔写真は必須ではありません。また、就職後も待遇が日本と違います。いわゆるSTEM: Science Technology Engineering and Mathematics系の学部を卒業し就職する学生はアメリカでは高給なことが多く、技術力さえあれば誰だって稼げます。そのため専攻する人も多いです。私の通っていた大学の工学部では女性も沢山いました。男女比としては男性が多いものの、女性エンジニアへの偏見というのは聞いたことがありません。

アメリカといえば「多様性」に理解があるというイメージがあると思いますが、実際それは大きいです。LGBTに関してもオープンな雰囲気でしたし、たとえば一般教養の数学の講義では高齢者の方や妊婦の方もいらっしゃいました。学びたいという意欲のある人でさえあれば、大学という場は誰でも受け入れてくれる様に在学当時は感じました

もちろん現代アメリカ社会を生きづらいと感じる人もいるかもしれませんが、こうした受け皿があることに対しありがたさを感じる人が多いのではと思います。この国で大事なのは「自分が誰なのか」ではなく「自分が何ができるのか」だと感じます。個人を何かでくくらない国だと感じています。

四年制大学卒業時

「日本がある」に甘えない

大学時代は、日本人のコミュニティとなぜ常に付き合わないといけないのか、と(何故か強く)思っていました。せっかく留学してるのに、日本人学生達がカフェテリアの机を1個丸ごと陣取って、長時間日本語で会話しているのを見て、(情報交換の場として非常に大事であるとは感じつつも)「すごく勿体ないな~」と感じていました。そういった点から考えると、日本人と海外で関わるのは安らぎを感じる事もできると思いましたが、同時にそれは一種の自分に対する「逃げ」だと当時は強く考えていたのだと思います。

アメリカにはもう7年近くいますが、もし今帰るとしたら両親のことが理由でというくらいだと思います。仕事が理由(日本の企業に転職するとか)で日本に帰ることは、まずないと思います。アメリカにある日系企業や現地の企業と比べ、あまり羨ましいと感じる部分が私にはありません。羨ましいと感じるとすれば福利厚生に関する情報が日本の企業はとてもクリアに感じる点くらいです。

目標のために専攻と違う世界で働く

現在の企業に決めたのは、実を言えば就活する時間が3か月しかなかったのです。その間に様々な企業に履歴書を送っていましたが、エンジニアとしての実績がなかったうえ、日本人ということがディスアドバンテージで、米国現地企業にはなかなか相手にされませんでした。そんな時に現在の会社に声を掛けて頂いたのですが、機械電子工学を専攻した私にとっては経験したことのない、知らない分野(IT)の仕事でした。

僕はどちらかというと機械系の人間なので、正直困りました。ただ、このチャンスを棒に振るとアメリカに残れる可能性がほとんどなかったのです。その時はすでに「何が何でもアメリカに居座ってやろう」と頑固に考えていたので、現在の会社に決めました。仕事は充実しているかというと、正直いって不満はあります。ですが、現在の自分に大事なのは「仕事をしている」という今の状態だと思っています。我慢して働いているとまでは言いません、何故ならば日本の新卒で同職の方と比べたら良い給料を頂いていると思っているからです。これは借金をなるべく早く返したい自分からすると非常に大事で、今の幸せは「誰にも迷惑を掛けずに自分で借金を返せること」と断言できます。金銭面で両親には留学に対して大きな負担をさせてしまっていたので、早く借金を返してもっと親孝行をしてあげたいと考えています。

選択肢に迷ったら、とにかく「やってみる」が大事!

何かやりたいと考えていて、歩みが止まるくらいだったら、何も考えずに身を投げることが時には大事だと思います。やる気と根気とお金さえあれば、何でもできるというのがアメリカ的思考です。悩んでいて足を止める時間はすごく勿体ないと思います。

今、進んでいる道から外れてしまうような「やりたいこと」を見つけた時に多くの人が選択肢に悩むと思います。周りと同じ道を進む事必ずしも間違いとは言えません。ふと浮かんできた「やりたいこと」への道とは違うにせよ、決まった道を進んで体験を重ねていくと自分に合っている事が新たに見つかるかもしれません。しかし、ふと思った一抹の「やりたいこと」であったとしても、自分の「やりたいこと」であることを忘れてはいけません。決まった道から外れようとも一歩踏み出そうとしなければ「やりたいこと」をするチャンスそのものを潰してしまい、得られるはずの経験が得られなくなります。「やりたいこと」を見つけたなら迷わぬうちに直ぐに身を投じてみるのも一つだと思います。それは私がしてきたことです。私の場合、「これをやりたい!」が100%だったから、一方の「決まっている道」をいとも簡単に閉ざして進んできたわけです。それが良いかどうかはさておいて、ふと浮かんだ留学という夢への道を閉ざさなかった事で今の私が居るのです。

渡米して数日

ゼミ生へ ~やりたいことから逆算する~

DeruQuiでは他のメンターの方の経験や、学生さんの話を聞けるのが素晴らしい場であると思います。海外に目を向けている学生さんは、特に視野が広いなと感じます。また、自分の経験を表に出す機会というのはなかなかないですから、こういう場はとてもありがたいです。

学生の皆さんには、もし今まで進んできた道に満足がいかず他に進みたい道があれば、どんどん挑戦してほしいと思います。失敗やリスクというのは歩みを止める原因になりますが、たいていの失敗はイコール「死」ではありません。そこから得られる経験もあります。人はどういうところからでも変われます。もちろん計画も大事です。

まずは希望を叶えた状態を想像してみて、そうなるまでに何をやったらいいか、逆算して考えるといいと思います。

編集後記

ゼミで一度ご一緒したのみですが、「高1の時に日本の大学には行かないと決めた」というエピソードが非常に印象に残っていて、今回インタビューすることができ非常に嬉しかったです。国内の大学に行って公務員にならなければと考えていた私にとっては、「高1でそんな自由に決められるなんて贅沢だなあ」というイメージがありました。しかし「まず生き、それから深く思索せよ」という西洋の諺の通り、アメリカに行ってから現在に至るまで、様々な紆余曲折があったのだと分かりました。現在も今の仕事の「安定」と機械電子工学出身としての「自分が本当にやりたいこと」の間に葛藤があるとのことでしたが、そういった面においても人生は選択肢の連続なのかなあと考えさせられました。(舟橋 咲希)