宮川 一花

世界の構造を紐解きたい

【一橋大学商学部 2年】「世の中の様々な問題はなぜ起きているのか」、「それらはどう関係し合っているのか」―。学外・学内問わず、様々な人と出会いや学びを得て、多角的にアプローチを続けている宮川さん。世界を広げ、視野を広げて様々なもの同士の関わり合いに注目しながら、一生のテーマに日々向き合って将来へのイメージを膨らませている。(2021.04)

経済安全保障

私は最先端技術と国家、企業の関係に着目する「経済安全保障」に、興味を持っています。最先端技術が戦争に使われないよう、どう規制するか、といったことを考える分野です。きっかけは高校の「言語表現」という授業で、クローンの生命倫理、AIなどについて、新聞記事などを読む、小論文対策の授業です。今もノートを大切に持っているんですよ。国家と企業の関係も扱われ、興味を持ち始めました。その後「経済安全保障」という言葉を知ったときは、「私のやりたいことの名前を知れた!」と嬉しくて凄い興奮しました。


実はもともとは教育に興味がありました。「日本の教育をどうするべきか」と考え、中学生の頃から大学選びをしていて、教育学部に進むつもりでした。しかしふと思ったんです。「安直に教育に興味があるから教育学部、でよいのか?」と。私自身も学校だけではなく、様々な場面で学びを得てきました。だからこそ、もっと多様な観点から向き合った方が良いのでは?「企業」から見たら面白いのでは?という想いに至りました。そこから発展して、「経済安全保障」というもっと面白そうなテーマに出会うことができました。

美術と狂言

学外で私に学びをくれたものに、美術と狂言があります。小さいころから母の影響で触れてきた美術を、私は始めは好きではありませんでした。美術館での母に「なんでこんなに長く見ていられるんだろう」と思っていました(笑)。転機となったのは、モネの『睡蓮』。4枚の中から「好きなものを1枚決めよう」と思ったとき、自分がどう捉えるかの言語化が必要になりました。このとき、初めて「見る」から「考えてみる」になったと思います。


私にとっての美術の楽しさは、自分にない視点を知れることにあります。例えばゴッホの教会の絵は、実物の教会と全く異なります。ゴッホは「教会からの印象」を描いていて、それはつまり他人のイメージを感じられるということだと思います。自分とは異なる視点を、文字で表す人もいれば音楽で表す人もいる。美術を通して、私が普段忘れている視点、見えていない視点を感じられるのがとても面白いです。同じものでも人によって見え方、感じ方は全然違うので、色々な人の視点を考えながら、世界を生きていきたいです。


狂言は小学1年で始めました。歴史が好きで、「昔の人が昔の服を着てそこにいるみたい!」と思ったのがきっかけでした。狂言は、人の愚かさを笑いながらも観客にそれを自分事として捉えさせる演劇です。狂言に正解や、この演技を目指せというものはありません。生涯かけて芸を極めることが重要で、10年ずっと稽古をやってみて先生の凄さが分かりました。

狂言の、いつの時代でも人々の心に訴え続けられるようにという伝統を「極める」意識は大事にしていきたいです。資本主義の世界では、短期的な利益を追求することを優先し、次世代への意識が薄いと感じます。先を見据え、100年のVisionを持ち合わせている人はいるのかなと。過去から未来へという大きな流れの中の「今」、という視点でのVisionを、狂言などの伝統や文化から見習うべきだと思います。

見たくない現実を見たい

親が旅行好きなこともあり、海外に行ける機会が多くありました。来年あたりには留学に行きたいと考えています。海外経験の中で強烈なインパクトがあったのがインドです。日本では見ない、暗い部分が多いんですよね。半壊した住宅がそこらにあって、小さな子が物乞いをしている。その小さな子の目は、今でも忘れられません。


そんな経験もあり、NPOの国際協力に憧れていた時期もありました。ですがそういった活動は社会問題を考えたときに、少し場当たり的だなと感じたりもします。もちろん素晴らしいことだし、必要なことだと思います。けれど、例えば食料は無限にあるわけではないので、配り続けることはできません。だから、根幹にある構造を知り、そこからどうにかしたいなと考えています。そもそもどうして問題が起きているのかー。もしかしたらあまり見たくない真実があるかもしれませんが、それを見たいですし、そこから考えていきたいです。


帰国して自分の部屋に帰ってくると、「私の部屋ってこんなに小さかったっけ」と本当にびっくりします。けれどそんな感覚も、1週間で元に戻ってしまいます。見たくないものを見ないようにすることは簡単で、忘れてしまうこともできます。インドの強烈な印象も、今では朧げになっている部分もあります。それはしょうがないのか、私の意識が足りないのかー。いずれにせよ、悲しいことだと思っています。

一生をかけるテーマ

昔からずっと持っている「世界の構造を理解し、少しずつ紐解いていきたい」という想い。今までの様々な場面での自分の考え方を抽象化したときに、意識の矛先がこの想いに向かっている、という実感があります。私はこのような想いを自分の「軸」と考えていて、より強固に、より太くしていきたいと思っています。ただし、世界の構造を理解することを、目標として「達成するため」ではありません。狂言で芸が到達しないのと同じく、達成できるものではないので。私にとっては一生をかけたいテーマです。

その中で、「経済安全保障」に興味があることに気づき、「企業がどう動くべきかを考える」という目標が一本決まりました。例えば中国とアメリカ。政治的な色合いが企業にも降りてくるようになって、サプライチェーンをどうグローバルに構築するかという課題が浮かび上がっています。一企業が、この先どうビジネスとしてやっていくのかが問われていると思います。

問題の構造を理解し、社会がうまくいくように経済を回すような活動をする社会起業家。そんな存在に、憧れています。いろんな問題が複雑に絡み合って大きくなった問題を解決するのは簡単ではありません。一人で向き合ってそのまま解決するのではなく、長く続けられる企業のサービス等を通して、より多くの人が改善に加われるような制度や流れを作りたいな、と妄想しています。

DeruQuiは話ができる場

「宮川と話していると、いつもまじめな話になるよね。こんなまじめな話をするのは、宮川くらいだよ」とよく言われます。自分の考えていることの話をする場は、なかなかありません。DeruQuiのゼミは、そういったことが話せる場だと思います。

一人ひとり、何も考えていない人はいません。考えをうまく言語化したり、一度外に出してみて分かることがあると思います。それができ、かつ「他にもそういうことを思っている人がいる」という安心感を得られるー。DeruQuiはそんな場なのかなと思います。

言語化して捉えることが難しい「軸」も、ゼミに参加するなかで少し言語化・可視化できるようになってきました。まだ自分の中でしっかりしていない部分もあるので、見えなくなることもあります。だからこそ、時々言語化しておくと、立ち戻る助けになる。今はまだ常に気にできているわけではないので、より太く、より明確にしていきたいと思います。

編集後記

たくさんの経験の一つひとつから、気づきを自分なりに言語化して学びを積んでいることがよくよく伝わってきました。自身の幅を広げながら、「世の中の構造を紐解きたい」という大きな野望に向かう様子に底知れぬエネルギーを感じます。そんな宮川さんが、広い世界の一員として、連綿と続く時の流れの一点から、自分なりのアプローチで全うしようとしている姿はとても魅力的で、ずっと追い続けたいと思わされます。(岩崎咲耶)