岸上 由佳

荒削りのMissionを洗練させたい

【ポートランド州立大学修士2年】「もっと世界を知りたい」に始まり、「誰かのために働きたい」、「ダイバーシティで豊かな国に貢献したい」へ…。広い世界を知っていくにつれて、自分のミッションを大きくしながら行動に移していく岸上さん。世界を開拓していく変遷と、そこで培ってきた思いを明らかにする。(2020.9)

人生の舵を自分で切る

安定した職業を勧める両親の影響もあり、なんとなく将来は学校の先生になるつもりでいました。高校生の頃まで両親の言うことに、ずっと「そうだね、そうだね」と従っていたんです。そんな時、初めての海外旅行でヨーロッパに行く機会があり、日本の外に出てみて、「世界って広いじゃん」と気付き、こんなに知らない場所があったなんてもったいないと思いました。同時に、自分の英語が全然使い物にならないことにショックを受けました。イタリアやフランスで、現地の人が英語で話しかけてくれるのに対して、言いたいことが英語で出てこない―、「今までの英語学習は何だったんだ」と。

この海外旅行をきっかけに、何も考えず両親に従って大学に進んでしまったら、いつ自分で人生の舵を切るんだ?と思うようになりました。そして「私はもっと世界が見てみたいし、英語でいろんな人と話したい!」と思い、留学を前提に大学を自分で選び直しました。

高校三年生のときの初めての海外旅行(写真はチュニジア)

「なんのために」教えたいのか?

子供のころは「なんとなく」でしたが、大学に入ってからは「教えたい」との気持ちで英語の先生を目指していました。1年間のミシガン留学でも、異文化コミュニケーションと言語学を学びました。留学中、現地の学生から日本の文化について聞かれたことがあったのですが、私はちゃんと答えることができませんでした。自分自身が日本の文化や言語を勉強しておらず、何も知らなかったからです。

「日本人なのに知らないのかよ」と言われて悔しい思いもしましたが、今まではただ「自分が」教えたいだけで、「なんのために」教えたいのかを考えていなかったことに気付きました。そして、日本で活躍したいと思ってくれている現地の学生の想いを実現するため、日本の文化や言語を教えたいと思うようになりました。

一度想いが決まると突っ走っていくのが私の性格です。「日本語教育を専攻して日本語教師になろう―」。帰国してから日本語教育の課程を追加し、大学の先生にも日本語教育のインターンシップのある留学先を勧めてもらいました。それがきっかけで4年前、アメリカのポートランドにやってきて、インストラクターのお手伝いや異文化交流の企画を行っています。また「日本語や日本の文化を教える方法」をもっと勉強したいと思い、社会言語学で有名な先生のいる大学院に入学し、今に至っています。

課外活動の新歓イベントで

Mission, Vision, Value (MVV)との出会い

最近は「ただ日本語を教える」だけではちょっと物足りないと思っています。アメリカ留学で培ったスキルを使って、日本とアメリカ、日本と世界を、繋げるような仕事ができないかなと。また、コロナの影響で「対面で教える」という教育の形が変わってきている中で、自分の力を活かして全く別のことができないかな、とも思っていました。ただ、「別のこと」のアイデアは全然なかったのですが。

そんな中、イベント運営でお世話になっていた方から、DeruQuiのお誘いをいただきました。様々な社会人のお話を伺えるということで、働き方の具体的なアイデアが生まれたらいいな、と思って参加することに。就活を考える時期でもあったので、「自分の力が何か」を理解して、それをどのように社会に繋げられるかを探すきっかけを掴みたいと期待していました。

そのDeruQuiのゼミ、「MVV」について考える回で、何をするにしても必要になるコアが重要だということに、大きな衝撃を受けました。同時に、企業が事業を進めるときの柱となる「MVV」に、「言葉の力」の可能性を実感しました。これをきっかけに、自分が携わるプロジェクトの「MVV」を言葉にして考えるようにしています。

今、日本では、学生からそのまま「自分はどういう人間か」を知らずに社会に出る人が多いと思います。就活で自己分析をすると聞いていますが、企業が求める人物像に自分を当てはめているイメージです。それぞれが学んできたこと、経験してきたことがあるのに、自分なりの発信ができないのではもったいないですよね 。皆が社会に出る前に自分の「MVV」を考える機会を持てるようになればいいのにな、と思います。

Mission, Visionを実現できる仕事を模索

私が考えるVision・実現したい日本の社会像は、「ダイバーシティを受け入れること」です。今の日本は受け取る情報がメディアにコントロールされて、目と耳を塞がれている人が多く、また英語に比べると日本語で発信される情報量は少ないです。さらに若い人もどんどん減っていて、情報、人の両面で、これからもっとダイバーシティを受け入れざるを得なくなると思うんです。それはつまり、ただ労働力が入るのではなく、考え方・価値観が「同じではない人」が、色々な情報や技術を持って入ってくるということです。その中で私は、「文化の違いや言葉の壁による軋轢をスムーズにする」Missionを持って、日本をもっと知識豊かな国、情報を持つだけでなく使える国にするお手伝いができたらいいな、と思います。

今、DeruQuiのメンターの方のお話を聞きながら、企業と企業の繋がりだけでなく、人と人とが繋がる時の「サポーター」「アダプター」になれたらと考え始めています。自分の経験や学びを全部活かし、社会に貢献できて、自分もやり甲斐があって…。そのようにして食べたらいけたら最高だなと思っています。

今考えている荒削りのVisionを、どう実現するのか―教育機関に行くのか、はたまた起業をするのか―、今後そういった具体的な方向性まで明確にしていきたいと思っています。

違う、けど両方いい

ダイバーシティを実現するために、コミュニケーションのあり方の根本を変える必要はないと思っています。最初は、「なんでもはっきり言うアメリカが一番」と、よく分からない考え方もしていました。しかし今は、アメリカの考え方がいつも日本のコミュニケーションに良い影響を与えるとも限らない、と思っています。多種多様なコミュニケーションを知ったうえで、TPOに合わせたコミュニケーションが出来ることが大事ではないかと。

これまで多様な価値感、文化、バックグラウンドを持った人たちと接して友達になったり、一緒にプロジェクトをやってきました。そんな私には、異文化とぶつかったときにそれをうまくポジティブな力に変える力があると思っています。

2年間の日本語アシスタントインターンが終わった時の卒業式

他の言語のアシスタントたちと

「分からない」を分かる

「アダプター」になるポイントは、「分からないことが前提だと考えること」だと思います。インターンで異文化交流の場を企画する時も、「伝わらない」という壁にぶつかる経験を一番大事にしています。実際日本に行ってしまったら、「伝わらないこと」「カルチャーショックを受けること」の方が普通ですよね。だから、伝わらない恐怖に耐えられるように、修行をしてこい、という気持ちでいます。「分からない、そりゃそうだ」というマインドセットがないと前に進むのが遅くなってしまうし、そこで諦めて欲しくないんです。

私自身も、「分からない」ことを受け入れて「しょうがない」と切り替えるのが難しかった経験があります。「なんで伝わらないの?」と。例えば、最初は直接的にYes/Noが言いにくくて気を遣った結果、「Yukaは別にNoって言わなかったじゃない」とミスコミュニケーションが起きたり。今は逆に、日本に帰って「由佳ちょっとアメリカに行ってきつくなったよね」と言われることもあり、両方の文化をチューニングしています。「分からないからしょうがない」「だからもっとやるんだよ」と思ってほしいし、私自身もそうありたいと思っています。

留学先の大学のカフェテリアにて。とりあえずパンに何でも挟むと食べられます。

編集後記

世界の広さを目の当たりにして得た外向きのアンテナと、MVVの視点による物事の考え方を武器に、ダイナミックに自分の道を開拓していく話は、聞いていてワクワクしました。同時に、広い世界で培ってきた自分の強みと、将来をより良くするための強みの活用方法をしっかり考える丁寧さや、一人ひとりの違いを理解する優しさに、安心感や頼もしさを感じます。教え子にあたる学生さんへの言葉からは、私もエールをもらえた気がしました。(岩崎咲耶)