井原隆雄

タイミングと運と思い切り

【オレゴン州立大学卒業】接骨院を営むお父さんのもとで、健康になって喜ぶ患者さんを間近で見てきた井原さん。自らも健康を支える者としてやっていこうと考えたのは自然な流れだっという。運動学を学ぶために本場アメリカに飛び込み、挫折を乗り越えて大学を卒業。今度は札幌に理想の職場を探し出し、これから、想いを共有できるボスのもとでの新たな挑戦が待っている。(2021.05)

健康で人を救う

2014年にアメリカのオレゴン州ポートランドに来て、7年が経ちます。スポーツチームの一員として選手を支える「アスレティックトレーナー」になりたい、という想いで留学を決意しました。どうしても情報が遅れてくる日本よりも、アメリカで勉強するのが一番だと思ったので。担任の先生からは遠回しに辞めるよう言われましたが、コロナが蔓延していることを思えば、あのタイミングで踏み出して正解でした。タイミング、運、思い切りは大事ですね。

私の父は接骨院を営んでおり、小中学生のころは接骨院を継ぐつもりでした。しかし父から、「接骨院はこれから上がり目はない。他の道を見つけた方が良い」と言われ、自分でやりたいことを考えるようになります。小さいころから「あなたのお父さんのおかげで腰が良くなったよ」「膝が動くようになったよ」という患者さんの声を直接聞いていた経験から、健康を通して人を救いたいという想いは変わりませんでした。自営業の父を見てきたことで、「自分で何か営まないと」という考えが自然と頭にあり、サラリーマンになるという考えは端からありませんでした。。

理想のジムとの出会い

アスレティックトレーナーに繋がるのは、運動学です。しかしあまりにも勉強が難しく、ついていけませんでした。「このまま1年いるのか、学科を変えるか」という選択に迫られ、これ以上時間を使えないと思い、公衆衛生学科に転向することに。コミュニティ(組織)で健康を支える、運動学とは全く異なる分野です。半年くらいはモチベーションが落ちましたね。今も少しありますが、「何やってんだよ」という思いでした。

しかし、この転向が理想のジムとの出会いに繋がりました。7月の帰国後、札幌にあるそのパーソナルジムに所属する予定です。私は、運動を楽しんだ結果として数字を落とすことを大切にしていたので、「〇か月で〇kg!」と数字ばかりを打ち出すジムは選択肢にありませんでした。お世話になるジムは、札幌の大自然でもアクティビティができるのが特徴で、体と一緒に心も健やかに、という考え方です。心の健康はとても大切です。いくら瘦せたとしても、精神的にふさぎ込んだり何のモチベーションもなかったら、意味がないので。体のケアを行うのがジムですが、心のケアも大切にしたいです。


すぐに仕事をしたかった私にとって、Zoomが普通になったことはありがたかったです。帰国してから探し始めると、どうしても半年くらいはかかってしまうので。探し当てた理想のジムに「どうですか。私を採ってください」と自分を売り込みオンライン面接を依頼。30分の予定が1時間半になるくらい、健康の話で盛り上がりました。その時点で、「ここしかないな」と確信しました。唯一、パーソナルトレーナーとしての経験がないことがネックになったため、実技試験を行うことに。「私が仮想の患者になるので、その患者に合うように30分トレーニングをやってみてください」というお題でした。実技試験までの3週間、YouTubeで「パーソナルトレーナーに通いやすい人」の動画を調べ、この人の場合はどんなトレーニングが良いかを考えていました。勉強とシミュレーションの甲斐あり、無事その場で合格。ボスと考えは一致しているので、実際に会って間近で働くのがとても楽しみです。経営術を学ぶのも楽しみで、ワクワクしています。

常に先を見る

20年前一般的ではなかった整形外科が現在では接骨院よりも身近な存在となっています。保険の関係もあり、接骨院業界は厳しい状況にあります。その中でただ座して待つのではなく、新しいことを取り入れていく。そんな父を一番尊敬しています。父は愛知の田舎で接骨院をやりながら、取り巻く状況の変化を察知してアスレティックトレーナーになったり、休日は東京に出向いて勉強しています。勉強することを楽しみ、勉強したうえで患者さんと接しているんですよね。第一線で活躍するのは、そういう人なのだと思います。私も休日に勉強し、「好きでやっているから続けているんだよね」と言えるくらいになりたいです。そういったことが、先を見るということに繋がるのかとも思います。


先を見るといえば、高校の数学の先生に言われた言葉があります。雑談をしない先生でしたが、留学の話を聞きつけたのか、問題を解いている最中にスーっとやってきて「おい、常に3, 4年後を見ろよ」と。周りの生徒からすれば「なんだ?」でしょうが、私には何のことか分かりました。
今も、例えばオンラインを取り入れるジムとそうでないジムがあります。「こんなの今だけ」と言って取り入れないか、3, 4年後を見て生き残るか。先生から言われたのはたったの一言ですが、とても大きな言葉だと思います。

新しい世界を楽しみたい

できるできないは置いておいて、夢の1つが「3年ごとに住む場所を変える」ことです。色々な環境を楽しみ、その中で常に新しい体験をしていたいと思っています。アメリカに6年いますが、1つの人生で2つ楽しんでいるような感覚がありますね。今住んでいるオレゴンは、半年間空が灰色。1年目は全然好きではありませんでしたが、気候を楽しむことすら、人生を楽しむことの1つと思うようになりました。前から興味のあった札幌では、雪の気候を楽しむつもりです。ただ日本では環境は限られるので、世界の様々な環境で働いてみたいです。

ちなみに3年というのは、その土地を知るのにそれくらいかかるからです。アメリカでも3年で場所を変わっています。1年目は浮かれた気分。2年目で嫌なところも見えてくる。3年目でようやく好きになれるかどうか判断がつくという感覚です。

1箇所に留まるのは面白くないです。職がどうこう、というよりも「3年ごとに住む場所を変える」はやってみたいこと。嫌でも好きでも3年住んで、また移動して、ということをやりたいと思っています。それを諦める理由はないですから。

目標や夢を持った仲間が集まる場

世の中には上から言われた業務をこなすだけのサラリーマンが多いのかなと思います。自分のやりたいことをやってはいけない、そんなシステムに入ってしまっているのかもしれません。そういったシステムから外れ、自分のやりたいことをやっていきたいという熱意を持った人が、DeruQuiに向いていると思います。DeruQuiには目標や夢を持った人が集まるから、刺さるものがお互いにあります。経験に基づく哲学であったり、一人ひとりの強い想いであったり。そういったものを聞けることが、私にとっての参加意義になっています。

ゼミで印象に残っているのは、チームの回です。日本にいる頃から、学級委員や寮室長といったリーダー職に就くことが多くありました。その中で、「リーダーってどこまでリードするの?」などの疑問を抱いていました。それに対してゼミでの学びを通じ、リーダーを含めチームのメンバーにはそれぞれ役割があり、それぞれ違うということが分かりました。おかげで、混ぜることなく考えられるベースができたのかなと思います。

これからも、リーダーのポジションを務めることが多いのだろうと思います。私は「リーダーだからついてこい」タイプではありません。一人ひとりと向き合うことで、「あなたはこれができますね」というコミュニケーションをするポジションになれればと思います。

編集後記

「自分の道は自分で決める」という意思と、そこからの使命感と責任感、ワクワク感が印象的でした。挫折を味わってもポジティブに乗り越える力や、心の状態も配慮した健康への想い、コミュニケーションを重視して各々のポジションを考える他者への眼差し―。自分自身や他者の人生を大切にしたいという想いを感じます。世界を舞台にした波乱万丈なドラマの行く末がとても楽しみです。(岩崎咲耶)