下山田志帆

イヤなところもある、でもそれが自分

〜自分と向き合ったからこそ気づいた個性〜

女子サッカー選手/株式会社Rebolt代表 】部活でメンバーと互いの良いところも良くないところも言い合うことで、自己理解が磨かれた大学4年間だったと語る下山田さん。自分のイヤなところも受け入れた上で「でもそれが自分」と言えるようになるまでには、海外での体験やさまざまな葛藤が。下山田さんが目指す"自分を武器に挑戦できる社会"とは。 (2020.8)

"自己理解"が磨かれた大学時代

学生生活を振り返ると、とても波があったように思います。中学時代は素行があまり良くなかったのですが、なぜか勉強だけはちゃんとしておこうと思っていました。サッカーを本気でやりたくて、高校は地元の茨城県から東京の女子サッカーの名門校に進学しました。高校時代は中学のときとは違って、むしろ模範生のような感じでした。ただ、人には負けたくない気持ちが強く、理不尽なことには逆らっていましたね。

大学に進学し、慶應義塾体育会ソッカー部女子に入部しました。体育会のサッカー部というとサッカーだけをしているイメージがあるかもしれませんが、このチームはそうではありませんでした。サッカーだけをしていれば良いわけではないという考え方で、ピッチ以外での行動を大切にしていました。そのおかげでいろんなところに行ったり、いろんな人に会いに行ったりして、サッカー以外のことにも興味を持つようになりました。

ミーティングが多い部活で、チームのビジョンについて話し合うのはもちろん、メンバーの人間性を深堀り合うこともよくしていました。日頃からメンバー間でお互いのプラスもマイナスも言い合い、それを受け止めていたからか、「こういう人間だからこうしたい」と思えるようになったり、それを行動に移すことができるようになっていきました。

そうやって自己理解をすればするほど、自分は協調性がないことに気づいたんですよね。チームスポーツをしながら、チームスポーツがめちゃくちゃ合っていないんだなと(笑)

慶應義塾体育会ソッカー部

自分と向き合ったからこそ辿り着いた、"海外での挑戦"

学生の頃から、上の人が決めたなんとなくの当たり前のせいで、自分の「こうしたい!」という気持ちや、「楽だ!」「うれしい!」という気持ちを邪魔されることがすごく嫌だったんです。だからこそ、そんな自分が周りの人と同じように企業に就職するのは絶対向いてないなって思いました。

サッカーを続けることを決めた時に拠点を海外にしたのは、ここまでやってきたサッカーをプロとして、仕事としてやってみたいという思いがあったからです。日本の女子サッカーは当時はまだアマチュアリーグでした。当時の私には働きながらサッカーをすることが、惰性でサッカーをしているように見えてしまいました。そう思っている場所に自分が入ることがすごく怖かったんです。だからこそ、海外でプロとして挑戦したいという思いが強くありました。

ドイツにて

外に発信することの大切さとLGBTのカミングアウト

ドイツでの時間は、自分を外に発信することの大切さに気づくものでした。日本にいると"空気を読まなきゃいけない"雰囲気があると思います。でもドイツはそうではなくて、自分の感情に素直にいられる環境でした。そして自分の場合はそれが、パフォーマンスの向上にも繋がっていることに気づきました。周りに縛られたり、押さえ込まれたりされていない感じがして、自分の感情や考えていること、思っていることをオープンすることの楽さに気づけたんです。

その頃からLGBTの当事者であることをカミングアウトしたい、という思いが強くなりました。ドイツでオープンにすることの楽さに気づいてから、自分がLGBTの当事者であることをクローズにしていることが苦しかったんです。自分の感情や思いを脚色しないで、生のまま言葉にしたいと思いました。この考え方は普段、何かを言葉にするときにも大事にしていることかもしれません。

受け入れることで得られた強さ

自分は、自己肯定感が低くて、自分のことが好きになれない時期が長くありました。正直今も自分に自信がありません。ただ、大学時代に自分の良いところも、悪いところも理解できる時間があったので、自分で自分のイヤなところを知っています。そんな学生時代を過ごしたからこそ、「でも、それが自分だからしょうがないよな」と思えている、受け入れている強さはある気がしていますし、あるがままの自分を受け入れてくれる人たちに出会えたことが大きかったように思います。周りの人と違うことや当てはまらないことに悩むこともありましたが、今はそういうレアな存在である自分ってむしろラッキーなんじゃないかなと思います。

自分を武器に挑戦できる社会を目指して

ドイツに行って改めて感じたのは、日本はどうしても、人のことを"女性"や"男性"、"学生"といった「くくり」で見られがちな社会で、常に誰かと比較され、個人として見てもらえないということです。

ドイツでいろいろな人と出会うたびに、パーソナリティや個人の意見がすごく尊重されていて、一人ひとりの中身を見ようとしているように思いました。選択肢の数が多いというよりも、自由な選択ができているような感じですね。

そんな経験を経て、帰国して今は日本のチームでプレーしているのですが、サッカーというスポーツにおいても、女子サッカーが男子サッカーと比較される対象であることに違和感を抱きました。「くくり」で見られたり比較されることで、"自分を武器に挑戦"することができていないー。そんなスポーツ界や社会に対してアクションしていく必要があるように感じました。そこから、共同代表と会社を立ち上げました。

株式会社Reboltを立ち上げ (共同代表と)

Visionary Career

アスリート×起業家というと、よく「パラレルキャリア」と言われますが、自分は「ビジョナリーキャリア」だと思っています。自分の人生において達成したい目標や目指したい社会を実現するまでの過程の中に、アスリートや起業家としてのゴールがあるというイメージです。

自分の人生のVISIONは「自分を武器に挑戦できるスポーツ界と社会をつくる」ことです。これは立ち上げた会社のVISIONでもあります。自分が過去に経験した、"自分を武器に挑戦"できないことに苦しむ人を少しでも減らしたいという思いから、今はアスリートとLGBTのアクティビスト、会社経営者として活動しています。この3つを自分の人生の目標に近づけていくために、日々活動しています。

スフィーダ世田谷FC に所属

ゼミ生へ

DeruQuiのゼミはすごく生き生きしている場所だと思います。どんなことを言っても純粋に、ポジティブに受け入れてくれる人たちが揃った場所は本当に珍しいと思います。

今まで周りから「なんか変じゃない?」「お前、なんかおかしいよ」って言われた人でも、DeruQuiではそういうことは言われないし、むしろ中川さんが褒めてくれます(笑)「なんか苦しい」とか「なんか思ったこと言えないな」っていう人ほどこのゼミに来て欲しいなと思います。

このゼミに参加すると、自分が全然変じゃないし、むしろそんなことを言い合えるのがすごく楽しい!っていう感情を共有できるのが幸せだなと思います。メンターとしてもそれがすごく楽しいので、自分の思っていることをちゃんと言い合える場所を一緒につくれたらいいなと思います。

編集後記

今回のインタビューでとても印象的だったのが、「楽」「うれしい」「イヤ」といった感情や気持ちを表す言葉の数々です。自分が思った感情をそのまま言葉にすることを大切にしているとしながらも、そこに至るまでには、受け入れてもらえなかったり、アブノーマルとして扱われたりすることに、何度も葛藤してきたことが言葉の節々に感じられました。それでも自分の強みも弱みも、つまりはそれを個性として受け入れられているところに強さとしなやかさ、そして美しさを感じました。「自分を武器に挑戦できるスポーツ界と社会をつくる」のVISIONは下山田さんの経験や思いが強くこもったものであり、アスリート×LGBTアクティビスト×起業家ならではのアントレプレナーシップを感じました。(山田 雅)