福田強史

軸を持って生きる

Meero 日本法人代表 】大学時代は政治家を目指していたが、アメリカ大手IT企業、Dell に就職。その後も、数々の大手IT企業でキャリアを積み、現在、Meero日本法人代表。「どの組織で働いていても、『顧客を想う』気持ちに変わりはない」という熱い響きが耳に残る。柔らかな笑顔を生み出す、芯の強さに迫った。(2020.7)

政界を目指した学生時代 ~弱さへのまなざしから~

大学時代、家族付き合いをしていた方からの紹介でハンディキャップを抱える人たちが社会へ出るための支援をしました。そのボランティア活動を通して、初めて社会的弱者の実態に気付きました。世界中でノーマライゼーションの必要性が叫ばれている中で、日本の社会制度に違和感を覚えたんです。僕は、青春期の21歳までいくつかの病気・怪我で入退院を繰り返していました。その分、人の痛みが分かる立場にいると思うんです。そんな時、出雲市長の岩國哲人さんと出会います。彼は、金融業界から政界に進み、グローバルに活躍する方で、そんな彼に憧れを抱きました。

政界を目指すなら、国会議員よりも首長がいいと思い、市長を目指しました。世の中を早く変えるには、議会での多数決のために数を集めているのでは間に合わない時代が来ると感じていたからです。市長は市民から直接選挙で選ばれ、議会とも調整は必要ですが、自分の判断で社会を変えていける、そんなスピード感のある政治家になりたいと思いました。27歳で市議会議員出馬、36歳で市長、48歳で引退という具体的な将来像まで描いていたんですよ(笑)。

ビジネスの世界へ ~価値を届ける面白さ~

大学卒業後は政治秘書などを務め、目標の1ステップ目となる27歳になりました。統一地方選に出ようと思っていた矢先、父の事業が上手くいかなくなり、選挙なんてやってる場合ではなくなってしまったんです。それでいったん夢は置いておいて、できることをやって、家族を助けなければいけないと考えました。

それから就活を始めて。50社以上エントリーしましたよ。当時、まだ中途採用も珍しく、なかなか採用してくれる会社はありませんでした。しかも僕の経歴って、何か怪しいじゃないですか、「大学卒業から世の中を変えたいので市長を目指していました」なんて(笑)。そんな中、ようやくDellでの採用が決まりました。そこからビジネスの世界に入ったんですよ。Dellの営業を始めましたがITの知識は全くありませんでした。ただ、Dellの良さでもあるオープンな企業カルチャーが自分にはとてもフィットしました。当時高額だったパソコンを個別にカスタマイズできること、つまり洋服で言うとオーダーメイド。しかも最新の技術で、値段が安くて、と当時画期的なビジネスモデルだったんですよ。僕はそこで、お客様に価値を届けること、「いいね!」と思ってもらえることがすごい素敵だな、と感じて一生懸命働いていたんです。かつ、道を変えたからと言って負けるのも癪じゃないですか。だからDellでもゼロから頑張って、四半期で5億円販売する営業になり、結果的には当時そのセグメントで売り上げ世界ナンバー1になるぐらいの結果を出しました。

個人で結果を出した後は、チームを見るようになりました。僕はやっぱり人のことが好きだから、みんながやる気を持って働くために、一人一人×チーム全体に対してどうマネジメントしていけばよいかを試行錯誤しました。たくさん失敗しましたけど、みんなが付いてきてくれて。結果的にマネジメント職での経験を積むことになりました。

転職の哲学 ~カッコよくなんてないんです~

その後、ノキア、シマンテック、マイクロソフトなど大手企業に転職しました。転職の理由は様々ですけど、組織の縮小、事業撤退など、前向きな理由でないこともありました。それでもその時々で自分自身にとって最適な判断をしてきたと思います。


そんな中、無名のブランドを自分の力で売り出してみたい、責任者として事業運営を一度やってみる機会に恵まれ、フィットビットの日本代表として新しい挑戦をしました。米国生まれのスマートウォッチを日本国内に展開する、という大きなミッションでした。ブランドを売る前に自分自身も売る、そんなことを学べたことも大きな学びでした。その後、ロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッドなど、ヨーロッパ発の複数のグローバルブランドを持つフィスカースグループへ。グローバルブランドマネジメントという、ここでも新たな挑戦。IT以外の未知の分野で自分の力を試してみよう、という思いがあったんです。

ただやはり、テクノロジーによって社会へのインパクトを大きく与えるべく、もう一度、IT分野に戻ってきて、フランス発のAI企業Meero社にて新たな挑戦をしております。

顧客の本質、仕事の本質

僕が仕事を通して一貫して意識していたもの、それはもう絶対に『顧客』ですね。人間関係と同じで、『顧客』は固定化できないんですよね。外的な要因でどんどん欲求を変えていきます。

僕はよく娘に「欲しいものと必要なものは違う。」と言うんです。お客様は、欲しい物が欲望としてある一方で、本当に必要なものは何があっても買うんですよ。お客様が欲しいものと必要なものを丁寧に考えない企業の生き残りは今後ますます難しくなると思います。「その会社がつぶれたらかわいそうだ」と、無理矢理生かそうとするからおかしなことになるんです。これでは、いらないものを高値で買わされるお客様の方がかわいそうでしょう。ちゃんとお客様を見ていない、自社ファーストな考えです。企業の存在意義は、お客様が欲しいと思うもの、必要なものを提供し続けること。そこに軸を置かないとぶれちゃうじゃないですか。だからやっぱり僕はその軸を大事にしてますね。

ベースには、周りの人が少しでもいい時間を送ってほしい、という思いがあります。それは、人に喜んでもらうことで自分も幸せになれる、という思いがあるからですね。僕は、しんどい人の思いを知っているから、少なくともそういう人の気持ちの近くにいることはできます。怒っている人がいても、たまたま直前に嫌なことがあったかも知れない、と考えるようにしています。自分も大変な時期があったので気持ちを理解できるので、人を表面的に見ないようにしていますね。

若い人たちへ 「誰かはちゃんとあなたを見ているから」

僕は、やる気のある若い人にチャンスを与えられる存在になりたいと思っています。自分が職探しで苦労したとき、社会は、実績を積み上げてきた人しか採用しないと痛感しました。企業側から見れば当然といえば当然ですが、それでは、やる気があっても、様々な事情、環境によって経験が出来なかった人たちのチャンスがなくなってしまうじゃないですか。僕はこれからも、若い人と一緒に学んでいきたいと思うんですよね。だから若い人にはとにかくチャンスを与えています。チャンスを与えて抜かれてしまったら嫌だなっていう恐怖はありますけど、自分が楽な方へ進んでいかないように自戒を込めて...。

自分と接点をもったことで、若い人たちが「前に進めた」と思ってくれたり、その人が活躍する姿を見るのは嬉しいです。自分自身が活躍したい気持ちはありますけど、それだけでは満たされないなと思っています。一緒にそれぞれの点として大きくなってつながって、それが立体になっていくと良い方向に進むと思います。

だから、自分を信じる軸をしっかり持ち、それぞれの個を大事にしてもらいたいです。テクノロジーの発展により、あらゆる情報をタイムリーにたくさん見れてしまう世の中だからこそ、ごく一部の人から言われる、自分に向けられたネガティブな意見に惑わされないでほしい。誰かはちゃんとあなたを見ているから。僕も、 そういう存在の一人として貢献したいと思っています。

編集後記

インタビュー中、ずっと笑顔でいらっしゃったのが印象的だった。インタビュー前、様々な記事で福田代表の情報を収集した時には、やり手の成功者、というイメージだったが、幾多の困難を乗り越え、逆境に陥っても常に他人への愛情を持ち続け、人生を切り拓いてこられたからこそ太くなった強い芯、その芯から自然に生み出される尊く深い笑みだと分かった。インタビューを終え、真に相手を思い、必要な行為をしているのかを自問して、恥ずかしくなった。私は、まだ頭の中の言葉遊びで終わっている。思いを馳せることを自分の中で終わらせない、きちんと相手を観察する、言葉を交わすことが相手を理解する第一歩。人生が変わる貴重なお言葉の数々をいただきました。どうもありがとうございました。(川村貴子)